中学3年の秋、俺は15年間育った熊本を後に大阪へとんだ。
大阪では、父親が前もって探してくれた家賃2万円の4畳半一間、風呂なし、共同トイレのアパートに住むことになった。
この頃、当然自分では稼ぐあてもなかったため、親からは毎月10万円の仕送りを送ってもらい生活をしていた。
自分のやりたい事を尊重し送り出してくれ、さらに生活費まで面倒を見てくれた親には感謝しかない。
大阪には、自分と同じように地方出身の同年代のプロの卵たちがたくさん集まっていた。
当時のプロ志望は20人程いただろうか。
この中でプロになれるのは、ほんの一握りしかいない。
ここから、学校も行かずに朝から晩まで囲碁漬けの生活を送る日々が始まった。
とにかく充実していた。
日々勉強。
同年代のライバルたちとの勝負。
ほとんどのライバルが高校へ進学せず、同じ環境で切磋琢磨する。
もしプロになれなかったら…
そんなことなど誰も考えていない。
ただただ目標に向かって突き進む、前向きなエネルギーだけで皆行動していた。
結果的に修行は3年後の18歳の時に、自身でピリオドを打った。
この頃、年齢制限が差し迫る中、負けが込み、精神的にだいぶ参っていた。
当時、最大20歳まで猶予が与えられていたが、20歳まで頑張って仮にダメだったらどうするか?
それなら今見切りをつけて、早く次の道へ進んだほうが良くないか?
さらに言うと、この時もうすでに囲碁に対する熱意は薄れていた。
早くこの先の見えない環境を抜け出したいという、後ろ向きな気持ちも大きかった。
そして棋士への道を志半ばで諦めた。
目次
- 熊本で過ごした平凡な15年
- 囲碁との出会い
- 大阪での囲碁修行 ←この記事
- 中卒男のはじめての就職
- 転職に向けて
- 転職活動を始める
- Web制作会社での2年間
- 2度目の転職 ブラック企業からホワイト企業へ
- 新会社の立ち上げから2年で年商1億円達成