晴れて憧れのWeb制作会社への転職が決まった。

年収は前職から約100万円程下がったが、これは承知の上での転職だ。
技術的に大きく伸びるであろうことは分かっていたし、手に職を付け、将来フリーランスとして独立するための投資と割り切っていた。

前職は、のらりくらりでやっていける、緩い環境だったのに対し、新しい会社ではクライアントの納期厳守の厳しい世界。

初出社の日、心踊らせながら会社につくと、ほとんどの社員が新入社員に特に関心を示さず、黙々と自分の業務を行なっていたのが衝撃だった。
正直この時、とんでもない会社に入ってしまった!と、後悔の念がよぎった。

少し年下で、俺と同じく業界未経験の女の子が同期入社したが、二人のPCは箱に入ったまま。
開梱からセットアップまで、自分で行うというスタイルだった。

始業時間の10時から12時ごろまで、各自PCのセットアップと業務で使用するアプリケーションの設定などを行い、一区切りついたところで社長、先輩社員らとランチへ行くことになった。

業務時間中の印象とは裏腹に、休憩中の先輩社員は気さくで話しやすく、少しホッとしたのを覚えている。

その後、小さなブログサイトを作ったり、クライアントサイトの更新を手伝いながら適正を判断され、俺はフロントエンドエンジニア、同期の女の子はデザイナーとして業務に携わることになった。

業務時間は10時から22時過ぎまで、残業代も支給されず、時には深夜まで及ぶこともあったが、毎日新しい技術に触れることができ、非常に充実していた。

しかし、この環境に耐えられなかったのか、同期入社の女の子は病んで辞めてしまった。

俺はこの後2年間この会社で働いたのだが、HTML/CSS/JSのフロントエンドはもちろん、PHPやLinuxなどのバックエンド業務も行い、エンジニアとしての経験値を大きく得ることができた。

また、プライベートでも社長や社員と食事に行ったり、遊びに行ったりと、公私ともに特に不満を感じることは無かった。

では何故この会社を2年で辞めたのか、次回の記事で説明しよう。

目次

  1. 熊本で過ごした平凡な15年
  2. 囲碁との出会い
  3. 大阪での囲碁修行
  4. 中卒男のはじめての就職
  5. 転職に向けて
  6. 転職活動を始める
  7. Web制作会社での2年間 ←この記事
  8. 2度目の転職 ブラック企業からホワイト企業へ
  9. 新会社の立ち上げから2年で年商1億円達成