俺は1988年、熊本県で生まれた。
物心がつくかつかないかの頃に、熊本県の西合志町(現:合志市)に引っ越し、それから15歳になるまで平凡に暮らしていた。
まずはこの15年について振り返ろう。
家族は父母と3人姉弟(姉と弟)の5人で、特に貧乏だったり裕福ということもなく、いわゆる中流家庭に育った。
学校成績も中の上(数学は得意だった)、運動神経はやや悪いといったレベルで、特に際立った能力もなく、また学校でイジメに遭うこともなく、とにかく平凡に過ごしてきた。
学校生活の中で一つのキーとなるのが中学に入学し、数ある部活の中で「剣道部」を選んだことだ。
親しい友人を含む同級生は皆、野球、サッカー、バレーボール、テニスなど、メジャースポーツを選ぶ中、学年3クラスおよそ100名の中で剣道部への入部を選択したのは俺だけだ。
きっかけは小学6年生の時に、 剣道体験に触れたということもあるが、なんとなく周りに流されて他の部活を選択することを嫌ったということもある。
さて、剣道部へ入部後、鬼のような顔をしたコーチを筆頭に、6人の先輩の中、1年生は俺だけという環境で、地獄の練習漬けの生活が始まるのだが、3ヶ月もすると早くも退部のことを考え始めた。
しかし、10万円以上もする剣道の防具を親に買ってもらったこともあり、親への申し訳なさから、なかなか退部を申し出ることができず、泣く泣く1年間続けた。
1年経過後、精神的には大きく鍛えられたが、やはり「退部」の2文字は常に頭の中を占めており、とうとう親・コーチに退部の意思を告げた。
おそらく察していたのだろう。
意外にもあっさり受け入れてくれ、剣道部を退部することができ、晴れて自由な時間を手に入れることができた。
それから数ヶ月、学校から帰ると思う存分テレビゲームに没頭しながら堕落な生活を送った。
そんなある日、友人が学校で教師と囲碁を打っている姿を見た。
将棋ではない。囲碁だ。
少し長くなってきたので続きは次回の投稿に。
目次
- 熊本で過ごした平凡な15年 ←この記事
- 囲碁との出会い
- 大阪での囲碁修行
- 中卒男のはじめての就職
- 転職に向けて
- 転職活動を始める
- Web制作会社での2年間
- 2度目の転職 ブラック企業からホワイト企業へ
- 新会社の立ち上げから2年で年商1億円達成