久しぶりに昔のことを振り返ってみようと思う。
俺は中学2年の時に囲碁を覚え、それから1年猛勉強をし、中学3年の夏にプロの囲碁棋士を目指すため、生まれ育った熊本を離れ大阪で一人暮らしをすることになった。
今回はその時に住むことになった、大阪市福島区の玉川というところにあるボロアパートのことについて書いていく。
そのアパートは、大阪へ行く前に前もって親父が契約していてくれた物件だった。
同じく地方から出てきて棋士を目指す先輩が、同じアパートの別部屋に住んでいるとのことで紹介してもらった物件らしい。
間取りは和室4畳半のワンルームで、風呂なし・共同トイレ。
家賃は2万円の激安ボロアパートだった。
アパートの入り口は大人が一人やっと通れる程度の狭さで、入って5mほど歩いたところに軋む階段がある。
階段を上ってすぐのところが俺の部屋だった。
先輩は俺の部屋の真下だったと思う。
今思えば住むには最悪の環境だったが、初めて部屋を見たときは「これでこそ修行だ」という気持ちが勝り、意外にもそこまで酷い印象はなかった。
初日は親父も一緒だったので、近くで家具を買うことにした。
揃えた家具は小型冷蔵庫、タンス、テレビデオ(VHSを見ることができるやつ)、パイプ椅子、布団、小さな本棚と最低限のもののみ。
4畳半の部屋に買い揃えた家具を並べると一層狭くなった。
一応押し入れがあったのだが、押し入れから布団を出すともう歩くスペースはない。
だが修行の身のうちはこれで良い。贅沢を言う身分ではない。
ちなみに風呂と洗濯機はアパートにないので、毎日近くの銭湯に通い、洗濯はコインランドリーでしていた。
当時は銭湯の入浴料も安かったので、家賃の2万円と合わせて固定費は合計3万円程度だったかと思う。
築年数は正確に覚えていないが相当古かったように記憶している。
夜になると天井裏でネズミがドタドタ走り回り、当然ゴキブリもよく出た。
今思うと、よくあんなところで2年も住んだものだと我ながら感心する。
今回は15歳の俺が一人暮らしをはじめた最初の物件について紹介したが、次回はこのアパートで生活するにあたって必要だった生活費について振り返ってみようと思う。