先日、15歳ではじめて一人暮らしをした家賃2万円・4畳半アパートの物件について紹介した。

このアパートに丸2年住むことになったのだが、今回は当時を振り返って15歳の一人暮らしに必要な生活費についてまとめていこうと思う。

そもそも何故一人暮らしを始めたのか?

前回の記事でざっくり紹介したとおり、囲碁のプロ棋士を目指すため大阪で一人暮らしを始めることになった。

まず、棋士は東京・中部・関西に拠点を置く日本棋院と、関西(大阪の北浜)に拠点を置く関西棋院のいずれかに所属することになる。
棋士になるには院生というプロ棋士養成機関に入って修行を積む必要がある。

はっきり覚えていないが、当時日本棋院の院生になるには、12歳か13歳までという年齢制限があったのに対し、関西棋院では確か18歳まで受け入れてもらうことができた。

この時すでに満15歳をむかえていたので、プロになるには必然的に大阪の関西棋院の院生になるしかなかった。

15歳になった中三の夏休みに両親と一緒に関西棋院へ行って、院生の下位組織にあたる養成部の子どもと試験碁を打った。

結果は確か2局打って1勝1敗だっただろうか。

その後、院生師範をつとめていた棋士の某九段から「プロになりたいなら大阪に来ても良い」との言葉をいただいたので、夏休みが終わってすぐに大阪で一人暮らしを始めることにした。

月の仕送りは10万円

一人暮らしを始めた翌日から、早速自転車で15分ほどのところにある囲碁学園というところに通い始めた。

囲碁学園は高校生以下を対象とした子ども教室で、土日などの休日は小学生らが沢山いたが、平日はプロを目指す院生や、院生予備軍などの強い子どもたちが勉強に集まる場となっていた。

この時はまだ実力不足のため院生になれておらず、棋力を伸ばすために平日土日かかわらず朝9時から夜21時まで毎日この囲碁学園に通いつめていた。

平日、俺と同じように地方から出てきて、学校へ行かずに囲碁学園で朝から晩まで勉強していたのは、当時ほかにも3〜4名ほどいたと思う。

囲碁学園での生活

学園での生活を振り返ろう。

確か朝8時くらいに起きて支度をして出発。
途中、コンビニで朝食のパンを買って学園内で食べていた。

9時から12時まで自習し、1時間の昼食休憩。
近くのスーパーやコンビニで弁当を買ってご飯を食べる。

そして13時から18時まで自習と対局。
16時ごろになると、学校に通いながらプロを目指す子も集まり人数が増えるので、対局(いわゆるスパーリング)をして実践練習もやっていた。

18時から19時まで休憩。

夜は近所のなか卯やCoCo壱、ラーメン屋などで食べることが多かった。

休憩後、19時から21時まで再び実践練習を終えて1日が終了。

就寝は24時

なんやかんやで自宅に着くのは21時半ごろだったと思う。

それから下着などを持って近くのコインランドリーで洗濯。

そして銭湯で風呂に入り、家に着くのは23時前だっただろうか。

体力に余裕があれば寝るまで1時間ほどさらに勉強をして、24時ごろ就寝。

そんな毎日を送っていた。

15歳一人暮らしの生活費

プロ棋士になるには年齢制限があり、当時の俺の棋力では時間的余裕がなかったためアルバイトをしている暇がなかった。

そのため生活費は親から仕送りをもらってやりくりしていた。

当時の生活費をざっくりとまとめてみた。

家賃2万円
銭湯6千円(200円 × 30日)
洗濯3千円(100円 × 30日)
食費6万円(2千円 × 30日)
生活用品など※余剰分

毎月10万円の仕送りをもらっており、内訳は表のとおりである。
月によって特別な出費があり、追加で仕送りをもらったこともあったが、基本的には10万円以内で生活することができた。

ただし、ガラケーの通信費や囲碁学園の月謝などは別で親に払ってもらっていたので、実際の総額は13〜14万円ほどかかっていたと思う。

当時まだ中学生だった俺に、毎月これだけの生活費を捻出してくれた親には感謝しかない。

まとめ

月謝を除いて考えると、月に10万円あれば一人で生活することができることが分かったはずだ。

固定費がやはり要の部分で、夢のためなら贅沢言わずに劣悪な環境でもある程度は我慢すべきところ。

次回は、2年住んだボロアパートでどんなことが起きたかを振り返ってみようと思う。